タルトシールと村上春樹

nasutogoya2006-02-17


 彼女がタルト化してしまってから、そろそろ3カ月の歳月が流れ去ろうとしている。
 タルト化した人々の大半がそうであるように、彼女は自分の核心・中心がうずまきだと信じている。そして僕が電話をかけるたびに、「あなたは私の外側しかみていないのよ。私の本質はうずまきなのよ。あなたとは会いたくないわ」と言う。タルト化した人々は、宗教上の理由によって、タルト化した相手としか交際してはいけないのだ。そんなわけで僕はもう2カ月近くも彼女と会っていない。
 タルト化された人々は苺のショートケーキは食べないし、ユニクロの服を着ない。日本人以外の小説を読むことも禁止されている。
 どうして彼らがそんなに偏屈にならなくてはならないのか、僕にはさっぱり理解することが出来ない。自らの核心がうずまきであることと苺のショートケーキを食べないこととのあいだにどのような因果関係があるのだろう?
 
 先日僕はある酒場でフルーツタルト化した若い女と知り合った。
「人間の本質は多様性にあるのよ」と彼女は言った。「だから私たちは満員電車には絶対にのらないの」
「うん、なるほど」と僕は言った。社会は日いちにちと複雑化していくように感じられる。

 うずまきでも中身は甘いあんこなのだから、あまり考えなくてもよさそうなものだけど。





過去記5 去年の12月、出張帰りの愛媛空港で見つけたタルトシールでお話をつくってみたこと。もとねたは『夢で会いましょう』村上春樹糸井重里 講談社文庫の「ドーナツ その2」より